核兵器廃絶日本NGO連絡会は、核兵器廃絶に向けて日本国内で活動しているNGO・市民団体の連絡組織です。1998~99年の「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」や、2008~10年の「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)」に働きかけた経過等を踏まえ、2010年に発足しました。核兵器廃絶のための課題のうち、特に以下の課題に重点的に取り組んでいます。
(1)核兵器禁止条約の早期発効と普遍化を含む、核兵器廃絶のための世界的な制度の構築
(2)安全保障政策における核兵器の役割の縮小
(3)原子力の民生利用に対する核不拡散のための新しい手立て
(4)北東アジアにおける地域的非核・平和のシステムの構築
共同代表は、以下の6名です(2022年8月現在)。
足立修一 (核兵器廃絶をめざすヒロシマの会代表)
伊藤和子 (ヒューマンライツ・ナウ副理事長)
大久保賢一 (日本反核法律家協会会長)
川崎哲 (ピースボート共同代表、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際運営委員)
田中煕巳 (日本原水爆被害者団体協議会代表委員)
朝長万左男 (核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員長)
連絡先:nuclear.abolition.japan[a]gmail.com
NGO連絡会申し合わせはこちら。
核兵器廃絶日本NGO連絡会の活動へのご寄付は、以下の郵便振替で承ります。
郵便振替 00120-0-485501
加入者名「核兵器廃絶NGO連絡会」
核兵器廃絶は世界の願いです。核で平和を作り出すことはできないばかりか、核は戦争の種。人間を悪魔化する貪欲の象徴ではと思います。ぜひ世界から核兵器をなくしたいです。
坂内さんの名前をこの場で遭遇し、ICANとの共同の働きにもっと早く参画できていたらと半分悔やみつつ、このNGO連絡会のページを読んでます。
ICANは釜山での世界教会協議会WCC会場でよく目にしたチラシ類でした。きちんと対応できてなかった時間の経過を残念に思います。NPT@NY会議直前に。
松本正雄(元大学教授)と申します.核兵器が人類iを惨殺するか,人類が核兵器を廃絶するか,二者択一を迫られている.後者を支持しない人は,核兵器の悲惨さの認識が不十分だからです.真相を分かれば答えは後者になる筈.実体験を通じてではなく,身体性に基づかないが『如何に真相を分かってもらえるようになるか』が鍵と思います.河内朗「ヒロシマの空に開いた落下傘」などを読み広島・長崎訪問では体感し認識できなかった核兵器の惨たらしさの一端を痛感した.神奈川県立あーすぷらざを通じ貴連絡会の存在を知りました.貴活動を随時拝見したい.一新参者より.
非戦・非核・非原。
人類を地球を滅びの導きから目を覚まさせないと。
愛と平和と地球と子ども達の為に再生可能な未来へ。
奇跡の目覚めの為の軌跡。
なぜ原水爆禁止協議会がメンバーに加盟していない?
原水爆禁止日本協議会はこの連絡会に参加しておられます。このブログからの同会へのリンクも張ってあるとおりです。
核兵器禁止条約が発効すると日本は核兵器国と呼ばれることになるので、日本はこの条約の発効を大変恐れています。
核兵器禁止条約が発効したら、国連安保理常任理事国の内の2ヶ国の政府管理の情報により、日本は「核兵器国」と呼ばれることになる可能性が非常に高いと言えます。
なぜなら、中国政府公式サイトには、日本が、1967年よりも前の1939年-1940年に核兵器を創製して実験したと記され、またロシア政府系通信社の記事にも、日本は1967年よりも前の1945年8月12日に核弾頭を爆発させたとあるからです。
また、日本が1967年よりも前に核爆発をさせたことを証明することになる検証可能な論文も在ります。1940年7月6日のネイチャ―には、ウラン爆発によって生成される複数の対称核分裂生成物が発表されていますので、科学的根拠も揃っているといえます。ただし、この論文については、核不拡散条約の故に核兵器製造の方法を拡散することが禁じられているため、そのURLをご案内できないご無礼をお許しください。
◆◆中国国務院国土資源部中国地質調査局◆◆
http://www.cgs.gov.cn/xwl/ddyw/201603/t20160309_303270.html
抜粋»»寸寸河山寸寸金——从历史资料看地质战线的抗日战争拙訳»»ずたずたになった山河、ちりぢりにされた金――歴史資料から見た地質分野における日中戦争抜粋»»1939年~1940年间,日本在我国辽宁海城地区发现铀矿,之后随着日本国内核武器研制、试验的进展,开始偷采铀矿并用飞机直接运往东京。拙訳»»1939年から1940年の間、日本は中国の遼寧省鞍山市海城地区でウラン鉱を発見し、その後日本で核兵器を創製し、実験を進め、ウラン鉱の盗掘と東京への空輸を始めた。
◆◆ロシア政府系通信社「スプートニク」◆◆
『ソ連が米国を日本の核攻撃から救った』2013年6月13日
https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/
抜粋»»1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、小型の船艇に載せて漕ぎ出し、沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。巨大な爆発であった。直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。
北海道の高校教諭 野口と申します
私の受け持つ学年では昨秋 修学旅行で長崎を訪問しました
その事前学習として1年次に わが町に長崎型の原爆が投下されたことを想定したジオラマを製作し
2年次には 本校第一期卒業生の方が広島で救援被爆されていたことを知り ご講演をいただきました
残念ながらその方は 先月90歳でお亡くなりになられましたが ご講演のなかで
「今日の聞き手は 明日の語り部です」とのお言葉をいただき その言葉を胸に 生徒たち有志で
広島原爆ドームの模型(高さ70センチ 横180センチ)を完成させ 先週の学校祭で
一般公開し 地元紙や朝日新聞全道版で取り上げられるほど 反響をいただきました
ちょうどその一般公開の日は核兵器禁止条約が採択された日で
各紙はどのようにとりあげるのだろうかと個人的に興味を持ち
コンビニで北海道新聞・朝日新聞・毎日新聞・読売新聞の4紙を買いました
すると読売新聞以外は1面+他面で報じていましたが
読売は5面で小さく報じているのみで 明確な温度差を感じました
私は条約に参加すらしないという日本政府の姿勢に腹立たしさを感じています
ひとりづつこの世を去っていかれる被爆者の方々のご冥福をただただ祈ってだけいるわけにはいきません
原爆ドーム模型と同時進行で 3学年275人全員で取り組んだモザイク画の題材に
広島出身のこうの史代さんの作品「夕凪の街 桜の国」の表紙絵を許可をいただき使わせてもらいましたがそのこうのさんも 私は被爆2世でも3世でもないけれど 遠慮している場合ではないとおっしゃっています
PCで条約のことを調べていて このサイト・アドレスを知りましたが 取り組みを応援したいと思います
私も自分のできる範囲でやれることをやる努力をしようと思っています
IPPNWを母体として2007年にICANが設立されると、設立メンバーの1人で当時の議長だったティルマン・ラフ博士が創価学会本部を訪ね、SGIに国際パートナーに就いてくれるよう要請しました。
「ICANを立ち上げた時、SGIと協力したいと考えたのは自然なことでした。多様な人々によるグローバルな連帯と貢献――ICANが目指していたものを、SGIは体現していたからです。」(ティルマン・ラフICAN国際運営委員/『聖教新聞』17年12月16日)
「計り知れない役割を担う」
SGIはこれを快諾し、両者はこの10年間、「核兵器なき世界への連帯――勇気と希望の連帯」展を共同制作して世界81都市を巡回させたほか、広島での「核兵器廃絶のための世界青年サミット」の開催(2015年)など、多くの活動を協力して展開してきた。
「SGIは、私たちICANにとって最も古く、一貫したサポーターの一つです。核兵器の禁止と廃絶を目指す戦いにおいて、計り知れないほどの重要な役割を担ってきました。」(ベアトリス・フィンICAN事務局長/聖教新聞17年12月13日)
SGI(創価学会インターナショナル)は、世界中のICANメンバーとともに、恒久平和を目指し
活動をしています。私もメンバーの一人として、身近なところから平和を築いていきたい。
核兵器廃絶のICAN国連決議を批准して貰うため、
小平市議会に働き掛けて、国に対する意見書を採択して貰いました。
これを機会に他の市区町村都県議会などに意見書を出して戴き
国を動かす第1歩になればと思います。
毎年夏になると広島、長崎の報道がなされ核兵器の悲惨さを思い知らされます。同時に世界で核兵器廃絶のための活動が行われていることに敬意を表します。多くの方の証言が世界に伝わっていると思いますし、私も何冊かの本や毎年の新聞投稿に衝撃を受けてきました。しかしあることで知りました「昭和戦争文学全集」(1965年、集英社刊)の13巻「原子爆弾投下さる」の広島逓信病院長と長崎医大部長の記録は非常に広範に当時の状況を生々しく纏めたものであり、この記録が世界の人人に伝わったらと強く思いました。日本人にももっと知ってほしい本だと思いますが、世界にもまずは英語からでも翻訳本が発行されないものかと思いました。I cannの活動をしている方々にも、ぜひ読んでほしいと思いました。