NGO連絡会について

核兵器廃絶日本NGO連絡会は、核兵器廃絶に向けて日本国内で活動しているNGO・市民団体の連絡組織です。1998~99年の「核不拡散・核軍縮に関する東京フォーラム」や、2008~10年の「核不拡散・核軍縮に関する国際委員会(ICNND)」に働きかけた経過等を踏まえ、2010年に発足しました。核兵器廃絶のための課題のうち、特に以下の課題に重点的に取り組んでいます。
(1)核兵器禁止条約を含む、核兵器非合法化のための世界的な枠組み
(2)安全保障政策における核兵器の役割の縮小
(3)原子力の民生利用に対応する核不拡散のための新しい手立て
(4)北東アジアにおける地域的非核・平和のシステムの構築

共同世話人は、以下の5名です(2012年10月現在)。
川崎哲 (ピースボート共同代表)
田中煕巳 (日本原水爆被害者団体協議会事務局長)
朝長万左男 (核兵器廃絶地球市民長崎集会実行委員長)
内藤雅義 (日本反核法律家協会理事)
森瀧春子 (核兵器廃絶をめざすヒロシマの会共同代表)

連絡先:nuclear.abolition.japan[a]gmail.com

NGO連絡会申し合わせはこちら

NGO連絡会について」への7件のフィードバック

  1. 核兵器廃絶は世界の願いです。核で平和を作り出すことはできないばかりか、核は戦争の種。人間を悪魔化する貪欲の象徴ではと思います。ぜひ世界から核兵器をなくしたいです。

    • 坂内さんの名前をこの場で遭遇し、ICANとの共同の働きにもっと早く参画できていたらと半分悔やみつつ、このNGO連絡会のページを読んでます。
      ICANは釜山での世界教会協議会WCC会場でよく目にしたチラシ類でした。きちんと対応できてなかった時間の経過を残念に思います。NPT@NY会議直前に。

    • 松本正雄(元大学教授)と申します.核兵器が人類iを惨殺するか,人類が核兵器を廃絶するか,二者択一を迫られている.後者を支持しない人は,核兵器の悲惨さの認識が不十分だからです.真相を分かれば答えは後者になる筈.実体験を通じてではなく,身体性に基づかないが『如何に真相を分かってもらえるようになるか』が鍵と思います.河内朗「ヒロシマの空に開いた落下傘」などを読み広島・長崎訪問では体感し認識できなかった核兵器の惨たらしさの一端を痛感した.神奈川県立あーすぷらざを通じ貴連絡会の存在を知りました.貴活動を随時拝見したい.一新参者より.

  2. 非戦・非核・非原。
    人類を地球を滅びの導きから目を覚まさせないと。
    愛と平和と地球と子ども達の為に再生可能な未来へ。
    奇跡の目覚めの為の軌跡。

  3. 核兵器禁止条約が発効すると日本は核兵器国と呼ばれることになるので、日本はこの条約の発効を大変恐れています。

    核兵器禁止条約が発効したら、国連安保理常任理事国の内の2ヶ国の政府管理の情報により、日本は「核兵器国」と呼ばれることになる可能性が非常に高いと言えます。

    なぜなら、中国政府公式サイトには、日本が、1967年よりも前の1939年-1940年に核兵器を創製して実験したと記され、またロシア政府系通信社の記事にも、日本は1967年よりも前の1945年8月12日に核弾頭を爆発させたとあるからです。

    また、日本が1967年よりも前に核爆発をさせたことを証明することになる検証可能な論文も在ります。1940年7月6日のネイチャ―には、ウラン爆発によって生成される複数の対称核分裂生成物が発表されていますので、科学的根拠も揃っているといえます。ただし、この論文については、核不拡散条約の故に核兵器製造の方法を拡散することが禁じられているため、そのURLをご案内できないご無礼をお許しください。

    ◆◆中国国務院国土資源部中国地質調査局◆◆
    http://www.cgs.gov.cn/xwl/ddyw/201603/t20160309_303270.html
    抜粋»»寸寸河山寸寸金——从历史资料看地质战线的抗日战争拙訳»»ずたずたになった山河、ちりぢりにされた金――歴史資料から見た地質分野における日中戦争抜粋»»1939年~1940年间,日本在我国辽宁海城地区发现铀矿,之后随着日本国内核武器研制、试验的进展,开始偷采铀矿并用飞机直接运往东京。拙訳»»1939年から1940年の間、日本は中国の遼寧省鞍山市海城地区でウラン鉱を発見し、その後日本で核兵器を創製し、実験を進め、ウラン鉱の盗掘と東京への空輸を始めた。

    ◆◆ロシア政府系通信社「スプートニク」◆◆
    『ソ連が米国を日本の核攻撃から救った』2013年6月13日
    https://jp.sputniknews.com/japanese.ruvr.ru/2013_06_13/115687091/
    抜粋»»1945年8月9日、米国・英国との協定に基づき、ソ連が対日戦争に参加した。11日、太平洋艦隊およびソ連陸軍が清津港・元山港占領作戦を開始した。両港の間には咸興(ハムフン)という港町があった。日本軍はそこで密かに核開発を進めていた。ソ連軍に研究施設を占拠されることを危惧した将校らは12日、巨大な金属のコンテナーで核弾頭のサンプルを運び出し、小型の船艇に載せて漕ぎ出し、沖に出ると間もなく点火、もろとも爆破した。巨大な爆発であった。直径1kmの火球が天空に燃えたあと、巨大なきのこ雲が騰がった。米機B-29が投下した広島原爆と同程度の威力の爆弾であった。

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